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    Works 225
  • みんないっぺん落ちようよ!

    2011/07/06

    maro日記

    学生の私は最低人間だった。
    自覚は全くゼロ。


    私は学生のとき、いい子で過ごしてきた。
    中学でもそこまで勉強しなくても何となくできてて、
    成績が悪い人を見下していた。
    それも無自覚に…。

    高校は進学校だった。
    せめて上から4つ目までの学校に入れよと
    親から言われていた私は、
    それ以外の自分より成績の悪い学校の生徒を見下し、
    逆に県トップの学校に通っている人は、自分よりランクが上、
    すごい人だと思っていた。
    そんな価値観を自然と持っていた。
    そして、それを全く悪いことだとも思っていなかった。

    私なら何でもやれる!
    …なんて思っていた。まさか私ができない訳がない。
    だって、少なくとも中よりは上だから。


    そんな私の価値観がひっくり返ったのは、
    卒業後、実家の自営を手伝えと言われ、
    家に帰ったはいいけれど、経営状態が悪すぎて給料が出ず、
    バイト人生がスタートした。
    私がまさかフリーターなんて!

    そこから昔ダメだと思っていた、
    自分が底辺だと思っていたフリーター生活をし始めたのだ。
    でも、何一つダメじゃなかった。
    調理で裏方やっている人もすごくかっこ良かったし、
    みんなちゃんと自分の意見をもっていた。
    格差で人を判断しない考え方。
    すごくカッコいいと思ったし、はっきりと目が覚めた。
    それでまた、ちゃんとこれから
    どうするか考えようと思ったのだ。


    私は思う。もし私がすんなり就職して、
    多少の苦労はあっても、
    何とかそのまま生活していったとしたら、
    本当にわからないままいたと思う。
    人を見下していることに自分で気がつくこともできない。
    すべての価値観が学歴や職歴、立場の善し悪し。
    人としても最悪だけれど、
    自分として、それを知らないことがすごくもったいない。
    まっさらな目にうつる、色眼鏡のない世界。

    何も知らなかったら、ものすごく怖いことになっていた。
    でも、元々そんな考えを持っていたから、
    やっぱり負け犬の遠吠えなのかなあ。
    …って思いが長い間かすめていた。

    そんなあるとき、昔の私の言う成功者に会ったのだ。
    そのとき、目から鱗。
    ただその職業を選んだというだけで、
    相当な努力はしたんだろうから、本当にすごいけれど、
    人として見てみると、
    もちろんそれでもいい人はいるんだろうけれど、
    私の会った人は、その地位を誇示していて、
    何かで賞を取ったとか、国立のどこ大学とか…
    そういうことにしがみついてしまっている。
    全然人としての気持ちにおいて、
    何の考えも感じられなかった。

    そのとき初めて負け犬じゃなかったことを確信した。


    本当、一回落ちないと怖い。
    切実に思う。
    私はそのまま行っていたら、
    了見のすごくせまい、情けない私になっていたことだろう。

  • イメチェンを繰り返した結果…

    2011/07/06

    maro日記

    髪型を変える、服を変えること、
    もうイメチェン!て感じの…

    そういうことをすごくしている時期があった。
    短大で家を出てからだ。

    1ヶ月ごとに髪の色は変わり、
    服もとりあえず奇抜な感じにする。
    農短、畜産科の私は、誰に見せるでもなく、
    コロコロ変える。
    見てくれるのは数少ない学生か牛かブタか…


    しばらくそういうことを続けていたのだけれど、
    もともとの性格として、
    オシャレに興味が全くなかった私は、
    これじゃダメだと思ってアパレルに勤めることになる。
    いろいろ服の合わせ方着方、すごく勉強になるけれど、
    毎月服を買うことにストレスを感じることになる。



    そんな私は今すごく楽な感じになっている。
    そこそこいい感じにはしたいんだけれど、
    あんまり頑張ってる感じが自分の中で
    すごく疲れてしまった。
    まあ、自然志向の流行りみたいなこともあるんだろうけれど…


    以前はものすごく自分を変えたかった。
    自分が大勢の中の一人じゃなくて、変なやつでいいから、
    私になりたかった。


    でも今は何となく自然に自分になってきている気がする。
    無理をしないで、でも染まらない。


    そういうのが多分今の理想でもあり、
    そうなりつつある私はやっぱり変な人には変わりはない。


    でも今とても軽い感じなんだ。
    もう、なんだかスキップしたくなるくらい!

  • 私の立ち位置

    2011/07/05

    maro日記

    私はワルモノです。


    今までのブログも、嫌な気持ちもあってOK!とか、
    すごく恩着せがましくいいことをしてあげよう!とか、
    時に、相手に悪質な気持ちを持ってしまうことも
    仕方ないとか…


    すべて自己中。


    けど、だから人に嫌な態度を取る、
    他の人を巻き込んで、
    裏でコソコソ陰口を言う…のは絶対NG!
    ここは、もう潔癖なほどに言わせていただこう。

    百歩譲って、本人に直接言うのは
    ギリギリセーフかな。


    私はできることなら、永世中立国の立場でいたい。
    でも、これは女社会の中では非常に難しい。
    とても苦手分野。

    人は群れると、誰かを悪者にして、
    その人に対して嫌な態度をとる。
    そしてそれを、人数が多いということで
    正当化する。それはもう必死で…

    学生のときもあるものだけれど、
    大人もこの稚拙さは変わらない。
    ただ、大人社会での都合のいい肯定化する言葉。
    『心配だ。私はあの人が心配なんだ。』


    本当にズルい。
    気持ちが悪い。
    他人のことを言った言葉でも吐き気がする。
    そして、そんな中に入るのはマッピラなのだ。

    もし、言われる方が100パーセント悪かったとしても、
    嫌なことを言うことや、
    嫌なことをすることは肯定されたりしない。
    面と向かって注意したり、本人に直接言うのならまだしも…
    陰でどんどん増殖し、必死で正当化しようともがいている。

    嫌いなのは仕方ないよ。でも、だからって大勢集まって
    手を組んでその人を追いやるのはどうなんだ?


    そんなことを思って、人を非難する群れから離れていると、
    私が標的にされたこともかつてあった。
    その理由というのも、『なんか雰囲気が嫌』


    は?そんな理由はあるだろうか…
    そんな理由でたくさんの女の群れが、
    私に牙を剥き、突如、コバンザメ的なやつが
    私に言った。『心配なのよ…』

    私もその後、牙を剥いたことは言うまでもない。
    なかなか引き下がらない私に手こずったことだろう…




    そんな私、今の仕事場は周りがほとんど男の中で、
    なんとか中立を保っている。

    ものすごく楽だ!
    そんな…今日の話。

    その男の人の一人が、新しく入った女の人が
    どうやら好きじゃないらしい。
    ちょっとヤンママ風な女の人だから、
    それこそ雰囲気が嫌なのだそうだ。
    まあ好きずきだからしょうがない。

    でも、その男はヤンママに
    あからさまな態度で拒絶したのだ。
    『おいおい…』そう思っていたまではよかった。

    そのヤンママが何とか私を自分の味方にしたいのか、
    その男がいなくなった途端悪口を言いはじめ、
    私は適当に流すしかなかった。
    いやな態度をとられているヤンママも多少気の毒だし…
    ただ、無視することが、これまた苦手だから、
    変なフォローみたいになってしまって、板挟み。
    ついには本当に初期の頃しかしないようなボンミス勃発!!


    まずい!せっかくいい調子やったのに…


    追いつめられた私は、
    ヤンママが帰った後、男に言った。
    『あんまりです。
    嫌いでもいいから、もうちょっとうまくやってください。』


    さて、明日はどうなることだろう…

  • して『あげる』精神

    2011/07/05

    maro日記

    誰かに何かをしてあげることは、
    思いのほかダイレクトに
    自分のためになるんだなぁって思う。


    だからあえて私は何かをします。
    たくさんの恩着せがましい気持ちを抱えて…


    『誰かに何かをすることは、自分に返ってくるよ』
    っていうのは、私は喜んでくれた誰かが
    そのうち私にもお礼に
    何かしてくれるかもしれないってことだと思っていた。
    だから、ぶっちゃけ返ってこないかもしれないし、
    返ってきたらラッキーみたいな、
    そんな感じだと思っていた。


    でも、違うと思えることがあったのだ。


    何かをすることで実際喜ぶのは人以上に自分だ。


    私は精神的に病んでいた。
    何年か前に2.3年間くらいだろうか。
    薬を手放せない日が続いていた。
    (麻薬じゃないよ!)
    体が薬に慣れてしまっていて、
    飲まないと、逆に副作用で手が震えたり
    目が一点を見ることができない。
    飲んだら飲んだで、治るのではなくて、
    ボーッとするのだ。
    だから、バイトでは冗談抜きに眠すぎて、
    支障が出るくらいだった…

    薬は無理矢理思考回路をストップさせる。
    私はそれがないと、
    自己嫌悪の渦に飲まれてしまう。
    そんな毎日…

    そんなとき、私は意図的に絵を贈ることを始めた。
    プレゼントを送りつけるという乱暴なことを
    祖父母にするようになった。

    もちろん本人達も喜んではくれるのだけれど、
    喜んでくれているに違いないと自分で思えることが、
    私を自己嫌悪から救ってくれていた。
    それまで悪者だった私が、本当に自分でも不思議なことに、
    自分の中で少しずついい人になった。
    その勢いで、私は初めて路上で
    似顔絵描きに飛び出したのだった。
    降りしきる雪、寒い北陸の冬のまっただ中にだ。

    サービス業と一緒で、
    ものすごい暇な時間もある。
    人通りの問題かな…
    ただ、今以上にへたくそな
    私の似顔絵は大繁盛だった。
    (だから、本当誰でもできるんだよ!)

    私は描いてあげた人達の
    毎日繰り返される1日を
    変えて『あげる』ことができた!
    楽しい1日にして『あげる』ことができた!

    …なんて、ひどい妄想だ。
    でも誰も傷つけてはいないので許してもらおう。
    でもそうして私は、
    黒い自分を必死で白く塗る作業に徹していたわけだ。



    そんな私、今はいたって元気!
    昨日書いた、どん底、
    もうこの先どうにもならないところから、
    平常に戻ってきた口だ。

    でも、すごくはっきり感じたのは、
    人に何かをすること、
    優しくすることによって、
    本当の意味で人を信用できるようになる。
    自分を信じられるようになるように思う。
    だから、その『誰か』が『何か』を、
    ほとんど喜んでくれなかったとしても、
    それは自分に返ってくる。



    自分が自分の味方になれることほど、
    自分のためになることはないんだから…

  • 不幸=幸せ?!

    2011/07/04

    maro日記

    幸せだと感じることは、
    私はそうたくさんじゃない。


    ものすごくしんどい思いをして、
    その後に、ちょっと落ち着いて、
    普通に過ごせること自体が
    めちゃくちゃ幸せだ!…なんて気がついたり…


    そしてまた普通の生活に戻ると、
    その幸せも普通になっていってしまう…


    マイナスとプラスの差で
    幸せって感じるもんなんじゃないか…
    なんて考えたりする。


    もしそうであるならば、
    ものっすごくマイナスを感じる人は、
    プラスの価値がうなぎのぼりではないか?!


    …ということは、実はものすごい幸せを
    感じることができるのは
    すごくすごーく辛い思いをしている人で、
    そんな人が、実は一番幸せだったり
    するんじゃないだろうか…


    もちろん人とはやっぱり比べてしまうし、
    一般的とよばれる生活水準より下だと、
    それだけでものすごく不幸だと
    思ってしまうんだけれど…


    すごく落ちてしまったら、
    這い上がらないと
    やっぱりマイナスのままだから、
    意味がないんだけれど…
    それでも、ものすごーく
    幸せになれる素質あり!
    …の状態なんじゃないだろうか?


    そして、誰もが大好きな『幸せ』ってことを、
    ちゃんと表現できるのは、
    きっとマイナスを知っている人なんだと思う。


    私はマイナスは好きです。

  • ただ好きだと言ってほしいだけ

    2011/07/04

    maro日記

    『ただ好きと言ってほしいだけだよ』


    これだけだと思う。
    本当にすべてのこと。


    自分と相手と2人だけの世界の中で。



    何も恋の話をしているんじゃない。
    もちろんそれも当てはまるんだろうけれど…


    いろんなことが生きていくためには
    くっついてくるから、
    すごく複雑な気がしてしまうけど、
    全部すべてを0にしたときに、
    私があなたに望むことは
    これだけ。



    この絵の価値は?この本の人気は?
    いろいろ周りの価値基準や判断、
    いろんなことに振り回され、比べられ…

    いやいや、実はそんなことじゃないんだ。
    ただあなたに好きだと感じてほしいだけ。

    …そう、私はたくさんのいろんな人の
    目を一人ずつ見て、そのとき目に映るただ1人に
    そう思ってもらいたいのだ。



    私はあなたが好きです。
    ただそれだけ。
    大好きなあの人にたいしてもそう。
    好きだけじゃごはんは食べられない。
    でも、好きじゃなきゃ一緒に
    いれるわけがない。
    もしあなたが私に好きだと
    ずっと思っていてくれたら、
    そのことを感じ続けることができたら、
    本当はそれが一番大事。

    仕事がうまくいかなくたって、
    お金がなくたって、
    もしそれでもこの気持ちを
    持ち続けられるなら、
    それが一番幸せ。

    生活がキツくなると、
    それがわからなくなってしまう。
    その気持ちさえ見失わなければ
    それが一番幸せ。

    いくつになっても…



    お母さんはあなたが好きだよ。
    小さな子供に言う。
    言うことを聞かなくても、
    頭が悪くても、悪いことをしてしまっても、
    目が見えなくても、耳が聞こえなくても、
    例え本当は私の子じゃなくても、
    何があっても、
    あなたが好き。

    ただそれだけ。



    みんなただそれだけがほしい。
    私はただそれだけがほしい。


    だから、私はみんなに好きだと言いたい。
    そして、みんなに好きだと言ってほしいのだ。

  • 風船が漂う

    2011/07/04

    maro日記

    人って、空を漂う風船みたいだと思う。


    足下もおぼつかず、フワフワ漂って、
    一体私はひとりぼっちでどこにいくんだ?
    なんて考えながら…


    始めはたくさんの風船と
    一緒に売られていたかもしれない。
    店の端にきちんと結びつけられ、
    周りにはたくさん同じような風船がいる。

    漠然とした安心感の中にいる。



    あるとき一斉に飛ばされる。
    そんな漠然とゆらゆらした不安の中、
    学歴、職歴、金銭の安定、
    いろいろなおもりをくっつけて、
    地面に降りようとする。
    漂っていることは足下があまりに不安だから。


    ちゃんと自分はこの場所にいる。
    …住所不定に漂うことは漠然と恐いのだ。
    いろんなものをくっつけ、安心感を得る。


    そして、いつか他の風船に出会って、
    孤独ではなくなっていく。
    また飛んでいってしまわないように、
    しっかりと地面に結びつけて…


    けど、こういうのもいいのかもしれない。
    2つの風船が漂う…
    ひもは地面からちぎれてしまっているけれど、
    それでも二つの風船のひもは
    ほどけずに絡まりつつ、
    フワフワと漠然とした不安の中を、
    ゆうゆうと泳いでいくのだ。

  • 鼻歌を歌う

    2011/07/03

    maro日記

    まさか、みなさん、
    これがオルゴールであるとは思うまい。

    手巻き式です。


    音楽、音楽…そう、鼻歌って歌います?
    私は結構歌ったりするのですが、
    それも最近のこと。

    10代の頃なんて、
    周りの目や家族の目を気にしすぎて
    恥ずかしくてとても歌えなかった。

    そんな恥ずかしがりすぎる私は、
    鼻歌にすごく憧れていたのだ。

    そんな一皮むけたのは
    一体いつの頃からだっただろう…

    自己判断も出来ず、
    周りがいいと言うことを
    無条件に受け入れていたから、
    鼻歌みたいなしょうもないことでも、
    自分の意見を否定されることは、
    人として間違っているようで、
    必要以上に怖がっていたのだ。

    そんな私、ポーンと短大は県外に出て、
    ものすごく解放されたのを覚えている。
    自分を捜すのが楽しかった。

    やっぱ、人生に一回は囲いを出ないと、
    私は鼻歌も歌えなかったよ!

    もう惑わされないのだ。
    私は私の好きな歌を歌う。

  • 未知のたまごをあたためてみる

    2011/07/03

    maro日記

    何かを始める。

    さあ、私は何かになれるだろうか…
    変われるだろうか…

    新しく始めるっていうのは、
    ドキドキワクワクビクビク…

    そのせいで、そこに向かう
    第一歩を踏み出せなかったり。

    私が学生の頃、
    私は吹奏楽部だった。
    一心不乱に練習した結果、
    結構部内でもうまくなっちゃって
    キャプテンもしたし、
    大会でも、私の学校にしては快挙な成績も
    残したりした。

    すごく怒られたり、しんどかったり、
    いろいろあっての結果。
    すごく達成感もあった。


    でも、今はあまりない。
    ちょいちょい、結果すごい大繁盛だったりも
    するんだけれど、
    勇気をふりしぼっている割に、
    思いのほか気持ち的には
    たいしたことじゃない感じで、
    何だか誰でもやれば出来るようで、
    それがものすごい揺るぎない自信になる…
    ということもない。

    こんな新しいことを重ねていって、
    頑張った証ともよべる達成感が
    あんまりないとなれば、
    私は頑張っているんだろうか?
    なんて疑問になったりもする。


    そういう、何とも言えないところがある。


    ただ、それでも続けたいと思うのは、
    今は想像もできない先が
    あると思っているから。

    それが、凝縮されたものすごい達成感を
    生まなかったとしても、
    それはそれなのだ。

    たぶんそこ。
    『想像できない』未知の明日。
    誰からも認められ、
    賞賛される高みではなく、
    今は全く想像もできない、
    よくわからないけれど、
    見たこともない結果を
    私は感じてみたいのかもしれない。

  • 好き嫌いと上手い下手

    2011/07/02

    maro日記

    私は絵を描いたり、
    文章を書くのが好きだけれど、
    私がすごく可愛いとか、
    おもしろいとか感じるものは、
    うまい下手とは違う場所に
    あるような気がする。



    絵で好きと感じるものは、
    自分でもあんまり説明はできない。
    リアルでもいいって思えるものもあれば、
    めちゃくちゃ手描きで落書きみたいなので
    いいと思えるものもある。


    正直、そう私が気に入るものは多くはない。
    ただ、恋に落ちる…みたいな、
    理由もなく好き!!なのだ。


    でも、傾向的には、手描きくさいのが好きかな。



    文章は…やっぱり、どこかちょっと
    レトロな感じは好きだけれど、
    何が好きなのかはわからない。

    ビジュアル的には夢野久作はイイ感じ。
    おもしろいかは置いておいて…
    読んでたときはカタカナにはまった。

    宮沢賢治さんも絵本的で
    すごく風景がキレイで好きだ。
    やたらと丁寧な言葉使いにはまった。

    大好きなチャペックさんは、
    常に淡々としている。



    ルックスじゃなくて中身だ。
    絵も文も…

    そして好み。
    技術的に優れているものは
    たくさんあるんだろうけれど、
    美術館にあるから好きだ
    というものでもないのだ。


    名も知られていない人が
    描いたうまいとは言えない、
    一枚の絵に
    心を奪われることもある。


    そうしたとき…
    私、どこに向かって
    進めばいいかと考えたとき、
    うまくなりたいなら、
    誰かに習えばいいと思う。

    ただ、そうじゃないんだ。
    上手くても違う。
    私は上手いものじゃなくて、
    好きなものが描きたい。


    たくさんの自分にとっての
    恋できる絵や文に出会って、
    自分自身、
    どんなものが好きかを知る。
    そうして積み上げて
    いきたいと思っている。


    そして、そんな私の作った絵や文に
    誰かが恋できるほどにステキな『私』に
    磨き上げていきたい。

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