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  • 透明人間がソコに座っている

    2011/06/30

    maro日記

    朝のブログ続き…ぽい内容かもしれないし、
    結構何回もブログで書いていることなんだけれど、
    人のキモチって生き物のように
    しっかり存在すると思うんです。


    例えば、恋人と遠距離恋愛なのです。
    寂しいのです…

    そんなとき、確かにあまり考えていても仕方ない、
    考えないようにしよう…
    …いやいや、もう寂しいサンは存在していると思うんです。


    大好きな人とケンカをしました。
    悲しいのです…

    でも、あの人が悪いんです。
    …なんて、必死に非難をして、
    なんとかこの悲しみをなかったことに…
    …いやいや、もう悲しいサンは存在していると思います。


    でも、なかなかこの存在は、
    見えないから見ないフリをしたり、
    気がつかなかったり…
    ましてや、相談相手になんか全く見ることができない。


    なかなかこのことを認めることはできない。
    だって、ネガティブなことだから忘れよう…
    なかったことにしよう…

    …いやいや、もうそこに座っているんです。
    でも目には見えません。
    持ち主にさえ見えません。


    でもいると思うんです。


    なかったことにはできません。
    だって、すぐそこにいるんだから。


    だから、話し合いにそんなキモチさん達も
    参加させてあげたいのです。

    もちろんそれらは、
    本人が作り出したものかもしれないけれど、
    作ろうとして作ったんじゃなくて、
    わいて出たたくさんのキモチ達には善も悪もない。

    ただそこにいる。

    そうして、そいつらの存在なしに
    問題が解決することはない。


    ただ現実に起こった問題だけを見て、
    その解決方法を見つけても、
    キモチさんは、置いてけぼりで、
    やっぱり、そこに座っていると思うんです。


    一番本人が痛いのは、
    何かが起こったことじゃなく、
    悲しいサン、寂しいサン、
    たくさんのキモチさんの痛み。
    存在を否定しても、事は動かない。

    それをすべて透明人間じゃなく、
    ちゃんと存在する人として、
    大切にしていくことが、
    相手を大切にするってことなんじゃないかなぁ。



    何とか私の想いが伝わるように、
    誰かを大切にできるように、
    ちょっと変な話だったけれど
    頑張って話してみました。



    …でもたぶんこれが真実なんじゃないかなあ…

  • 『じゃあ、なんて言えばいいの?』

    2011/06/30

    maro日記

    結構悩みごとをしていて、
    私が誰かに相談するときって、
    もう始めから、言ってほしい言葉ってたぶんある。

    『じゃあ、なんて言えばいいの?』

    この言葉はよく聞いたし、
    その『何かを』言ってほしい自分も
    確かにいた。

    一体どんな言葉を私は望んでいるのか、
    何かを待っているくせにわからない…
    けれども、相手が言ってくれていることが、
    その『何か』ではないことに気づいていた。

    この私にとっての『何か』は、
    誰でももっている、
    誰でもできることじゃないことを
    だんだんわかってきた。
    そして、誰彼かまわず話していた自分の悩みを
    話すことをしなくなった。

    この人ならその『何か』をもっているかもしれない人か、
    よっぽど、この人に話してもわかっては
    もらえないことを前提とした上で
    話すようになった。
    優しい言葉であったとしても、
    その『何か』をもっていないことによって、
    私は傷ついてしまっていたから。


    私は相談じゃなくて、
    聞いてほしいのだ。
    だけど、ただ言いたいわけじゃなくて、
    やっぱり『何か』が聞きたい。

    それで、ずっとその『何か』を探し続けていた。
    で、思ったのだ。
    同じ対等な目線で、私の立場にたって、
    一緒に感じてほしいし、考えてほしい。

    一時期わからないときには、
    いっそ自分は単に慰められたいのかと思ったけれど、違う。

    正論とも違う。
    だって、頭で考えている私は
    その内容はとっくにわかっている。
    その正論でこうだ!ってことでも、
    自分の気持ちに折り合いがつかなくて
    痛いんだもん。
    それをひっくるめて、
    その土俵の中で話がしたかったのだ。

    例えば私と母親の場合、
    母は母の立場で話をする。
    私のことを子供の立場で見る。
    子供扱いとかじゃなくて、
    自分と違う立場から、
    なんとかしてあげなきゃ…ってなる。

    例えば友達同士、
    大変だねえって、
    今の私のしんどい立場とは別の、
    安全な位置から、
    他人目線でのアドバイスをする。
    私は痛くない、痛いあの子を助けなきゃ。

    全部とても優しい気持ちから
    きていることはわかっている。

    でも、そういうんじゃない。
    だから、『じゃあ、なんて言えばいいの?』になるのだ。


    私は一対一のただの人間同士の話がしたい。
    家族、恋人、友達の立場はすべて取っ払って、
    話し手の立場に身を置いての話をお互いでしたい。
    別に全くアドバイスがほしいわけでも、
    結果がほしいでもなく、私は聞いてほしい。
    それは、ただ耳を通過するんじゃなくて、
    今の私の気持ちを一緒に感じてほしい、
    わかってほしい…
    その、相手に私を体感してほしい。
    そしてその上で話がしたい。
    ああだね…こうだね…って。
    でないと、この矛盾だらけの気持ち、
    正論では説明がつかないし、
    リアルじゃない。
    そう思う。



    これは全部私目線で
    あくまで、私がそうしてほしい、
    その『何か』を探した結果。


    もちろん全員には当てはまらないだろうけれど、
    私はそれを望んでいた。
    それが、人は私じゃないから、
    私を体感するなんて100パー無理だけれど、
    それでも、そういう位置で話がしたいと思う。

    逆に相手が痛いなら、
    私も痛い人の立場になって話をする。
    そして、その人を知ろうとすることが、
    私にとっての『何か』。
    こんなに痛かったのか…ってことを
    深く知ろうとすることが、
    私にとっての優しさだった。



    あなたにとっての『何か』は何ですか?


    私はそういう想いを過去に考えてきました。
    今は痛くはないけれど、
    そういう場合…どんな想いを持つか
    話させていただきました(o^-'')b



    そして、絵と文、合っていません。
    絵の方は、『私は私で積み上げていくもーん…』て感じの内容でした。

  • でも実は誤解なんです

    2011/06/29

    maro日記

    今日やっと気づいたことがある。
    このブログを読んで下さっているみなさんに、
    すごい心配をかけてしまっていたとは…

    『でも実は誤解なんです』


    今悩んでいることは、一つ。
    突如暴れだすカイジュウ君は、
    今はおとなしくしている。

    その内容はこのブログに書いたことはない。
    これは不可抗力だから、
    もし100%の言葉をもらったとしても、
    解決はしないだろう。
    だから、この問題には触れないでおく。


    今までたくさん書いた私自身の意見は、
    すべて実際踏みしめてきたことだ。
    全部苦しい思いをして考えてきた。
    そんなときに言ってほしかったことであり、
    これが私にとっての答えだった。

    だから、全部『どうしよう…』
    てカタチじゃなく、
    言い切り系だったと思う。
    『私はこうしたい、こうする』
    …みたいな。


    内容全体はちょっとネガティブな
    問題を取り扱ってきたけれど、
    思考回路としてはポジティブだったはずだ。
    強がりじゃなく、私にとっての真実だから。


    いろいろあったけれど、私のことは、
    周りもちゃんと認めてくれるようになっている。
    絵もちょっとずつ、
    私の似顔絵を大好きでいてくれている人も
    増えてきている。支持してくれる人もいる。
    そして、このブログを通して
    いろんな人が私の話に耳を傾けてくれる…



    私はいろんな問題にぶつかったとき、
    それが、堅実な生き方ではなかったから、
    私のほとんどの周りの人とは、
    正論でしかやり取りができなくて、
    実際の私の気持ちは置いてけぼりだった。

    でも、人間って、
    ちゃんとしなきゃいけない場面で
    できないってこともある。
    例えば、相手を頭では許そうと
    思っていてもできない…とか。
    矛盾が起きてしまう。

    そういうのをひっくるめた上での
    これらの問題にたいする私なりの意見を
    聞いてほしかったのだ。


    そして、それにたいして、
    みなさんがどんな意見をもつのか聞いてみたかったのだ。


    いつもくっつけている絵も…
    いろんな想いを噛み締めている、
    そんな人が私は好きだ。
    必ずしも笑っている顔だけが、
    いい顔とは私は思っていない。

    そんな私の中にある、
    今までのいろんな想いをもった、
    そんな子達を描かせてもらっている。


    そんな私、今は割と元気だったりするんです(-""-;)
    ブログの内容に入り込みすぎて、
    えらくみなさんにご心配おかけしました。

    本当にありがとうございます。
    また聞いていただけると嬉しいです(*^o^*)

  • 何もすることがないのはしんどいのだ

    2011/06/29

    maro日記

    仕事というか、やんなきゃいけないことがあるって、
    ホッとすることだと思う。


    例えば『仕事、しんどくてやめて今はまだ何もしてません』
    なんて言う人がいたら、
    『おいおい気楽なもんだなあ…』
    とか思われちゃったりするけれど、
    本当に気楽でいられるのは、
    よっぽど金銭的に余裕があるか、
    よっぽど働けない事情があるか、
    よっぽどずぶとい人じゃないだろうか。

    『今働いていません』
    よっぽど他にやりたいことがあるなら別として、
    こんなに精神的にしんどいことはない。
    漠然と自己嫌悪を心の片隅に常に置きながら、
    やることもない。

    体力的に楽?
    いやいや、精神的には息がつまってくる。
    普通に大学を出て、
    就職して、忙しかったり、
    それなりに大変なことはあっても、
    心はそれほど痛まない。


    毎日をただダラダラすごし、
    そんな自分を
    『自分ってダメだ』
    なんて思いながら
    将来に対して漠然とした不安を抱え続けることは、
    思いのほかキツいと思う。

    だから、気持ちの安定として、
    『これでいいんだ。私はやっている』
    って思えていて、周りからもある程度そう認識して
    働くことは、精神的には逆に楽だ。
    良心の呵責が全くないんだもん。


    結構勘違いされている。
    『働かないことは楽だ』
    おそらくニートの人も
    そんな思いを飼って
    生きているんじゃないだろうか?
    精神的にかなり追いつめられる
    道だと思う。


    …何でこんなこと言いはじめたって?

    よくわかんない。
    ふと思ったんだ。


    でも、そうした時間を持ったとき、
    精神的に追いつめられたのは、
    私だけじゃないはずだ。


    結構しんどいもんだ。
    それほど長期的な何ヶ月も…みたいな経験は
    ないけれど、1.2ヶ月間が空いたとき、
    漠然とした不安と自己嫌悪が
    ずっとやまない頭痛みたいに
    ズキズキする。
    痛み慣れ…みたいにだんだん慣れてくるけれど、
    それは治ることはない。
    ものすごくイライラもする。

    だから、毎日どんなに忙しくても、
    頭を使っても、しかられても、
    それなりに働けている人は、
    それに気づかず、
    『自分の方が大変、お前は楽だ』
    なんて思っちゃうだろう。


    でも、きっと本当は、
    その方がずっと楽なのだと思う。

  • 失敗という地雷を踏んで歩く

    2011/06/28

    maro日記

    『失敗は成功のもと』
    なんて言ったりするけれど、
    失敗することって、
    思いのほか怖いもんじゃないと思う。


    まだ実家にいた頃、
    何かしようとするとき、
    やっぱり親としたら、
    子供のことはいつの間にか自分を投影していて、
    自分が間違っていると思ったことは、
    止めさせたいもの。

    子供の心配が、いつの間にか自分自身が
    失敗しちゃうような感覚になっちゃうのだ。

    私自身も逆に家族対してそういう感覚を
    持っちゃったことがある。
    それは、心配して、気遣って…
    …って気持ちも0じゃないんだけれど、
    それよりも、自分が失敗したくない…って感覚。
    本人以上に不安になっちゃって、
    不安を本人にぶつけちゃう。
    本人が一番不安なのに…

    『どうせ…でしょ?』
    から始まって、
    『ほらね!やっぱり…だったでしょ?』
    みたいな感じ。


    私は言ったことがある。
    『失敗くらいさせてくれ!』
    失敗は失敗だけれど、本当の失敗じゃないのだ。
    失敗から具体的な何かを得られるかといわれたら、
    ないのかもしれない。
    でも、失敗するってことは、
    『実行した』ってことなんだ。
    それって失敗よりすごいことだと思う。

    私は今でも、失敗してもいいから、
    とりあえず実行するところまでは行きたいと
    思っている。
    そう、失敗という地雷をことごとく
    踏んで歩けばいいのだ。
    全部爆発させても、私は死なない。

    それでも不安には、ものすごくなるんだけどね!


    そして、とても難しいことだけれど、
    自分の近しい人が何かをしようとするとき、
    どんなことでも、自分の不安を押さえて、
    ちゃんと応援できる自分でいたいと思うのだ。
    地雷を踏ませてあげられる勇気も必要なのだ。



    でも、そんな私、実際実行したはいいけれど、
    失敗するとやっぱり凹むのだ。

    だけど、何も実行する前は、
    失敗は絶対にしちゃいけない!!
    って感じで、失敗することが極度に怖かったけれど、
    そこまで恐ろしいものじゃあないのだ。

    逆に、そこまで高いハードルじゃなかったのかと思うと
    達成感も小さくなったりはするのだけれど…


    似顔絵を描きにいって、ヤジがとんでも
    お客さんが来ない日でも、
    私は死ぬことはない。


    そして、いっぱいお客さんが来てくれる日がくると、
    それこそ全部吹っ飛ぶのだ。

  • 『無』からはいる

    2011/06/28

    maro日記

    絵でも文章でも、それをかくとき、
    最近は『無』からはいる。


    小さいときは、本なんかを読んで、
    可愛い!とか、かっこいい!と思った登場人物や、
    感動した登場人物の表情だったりとかを、
    描きたいと思って描いていた。


    また、ちょっと前…
    人生ドン詰まりのときは、
    そのときの気持ちを絵として表現したい…
    と言ったら聞こえはいいけれど、
    要は、自分の感情を叫びたい…みたいな感覚。
    紙に叫んでいたのだ。
    このときの絵は、
    自分のためのもので、
    誰にも見せる気はなかった。


    似顔絵描きを始めて、
    もともと自信も何もない私は、
    絵のスランプになった。
    『自分じゃなくて、他の人が『納得する絵』を
    描かないといけない!』
    なんて思いながら…
    自分から見てどうしても、
    うまく気に入った風に描けない!
    …でもやらなきゃ!みたいな感じだったり、
    こういう風に描けば、
    とりあえずお客さんも文句は無いだろう…
    みたいな、プラスを追い求めるんじゃなく、
    マイナスのない絵をとりあえず
    描いていたこともあったけれど、
    それは、そのときから
    『そんな自分、間違ってる!』とは思っていた。



    そして今。
    『無』なのだ。
    こういうのが描きたい!というよりも、
    とりあえず描いてみて、
    じゃあ、こうしてみよう、ああしてみよう…
    みたいな感じ。
    頭よりも心よりも手が動く。

    だから、全く想像…していないんだけれど、
    想像つかないようなものが描ける代わりに、
    失敗も多い。
    ただ、ブログを書いているみたいに、
    自分でも気がつかなかった
    自分の中にある気持ちだったり、
    感情、アイディアだったりが、
    ポロポロっと出てきたりする。


    さて、どれがいいのか…
    何かを描きたい!と思う方が描きやすいんだけれど、
    でも、『無』から始まっても、
    だんだん絵がカタチになっていくと、
    こうがいい、ああがいい…とはなっていく。


    今も昔も、私は表情に
    重きを置いている。
    私の描く子にソバカスが多いのは、
    もともとの美人だったり、
    ルックスの良さからくる『キレイさ』
    を避けたいからでもある。
    (単純に可愛いからでもあるんだけれど)


    そんな私の絵は描き手の好みから、
    よく泣いているのは、
    単にビジュアル的に好きなのである。


    水ってなんかいいよね(≡^∇^≡)

  • ちょっとコイバナ?!

    2011/06/27

    maro日記

    学生の頃…
    私は短大に行くまで彼氏はいなかったから、
    制服でこんな場面になったことは無い。

    気が弱いので、好きな人に好きだってことも
    知られたくなかったし、
    告白なんてしようもんなら、
    うまくいったとしても学校に来れないや!
    って思っていた。


    あんまりこの手の話は苦手なんだけれど、
    ちょっと私らしい感じで話します。


    あなたにとって、
    好きな人に求めることって何ですか??


    私は、やっぱりドキドキしたかったし、
    私より背が高い方がよかったし、
    年上がいいなあとか、
    頭いい人がいいなあ…

    そんな理想が学生時代はあった。

    でも、結構いろいろ問題を抱えてた私は、
    常々、味方がほしいと思っていた。
    それがいつの間にか理想になって、
    それで、今にいたる。


    ひと年まわると、『優しい人』がいいんだけれど、
    何をもって優しいとするのか?
    YESマンは嫌だ。とか思うようになった。


    ただ、前から、何か自分にできないことが
    できるような人がいいなあと思っていたんだけれど、
    私より若干身長が低くて(私が高いんです)
    年下のアートとはぜんぜん無縁系の旦那は、
    『人と比べない』ということができて、
    『自然体でいられる』ということができる。

    どっちかというと私がなりたい理想なんだけれど…



    人の数だけ理想はあると思うけれど、
    みなさんどんな理想をもっているか…

    ちょっと気になるところです。

  • 自己満足ってハードル高くない?

    2011/06/27

    maro日記

    よく、『自己満足ですが…』
    って控えめな感じでこの言葉を使う方が
    多いんだけれど、
    みなさん自己満足してますか??


    私は自己満足ができてない。
    自己満足できるものって、すごくないかい?

    たまーに、いいのができた!これ好き!!
    って感じのができたりするけれど、
    100パー最強!みたいのはまあ、できない。


    自己満足度と、周りの人がもってくれる評価で、
    自己満足度の方がハードルが低い…
    なんてことはないと思う。
    だって、自己満足=妥協…じゃないんだもん。



    例えば店に売っている本、
    音楽をする人なら音楽とか、
    すごくいろいろ見たり聞いたり
    しているうちに、
    目や耳、ときには舌なんかが、
    やたらとこえてきて、
    だんだん満足できなくなってきたりする。

    そんなとき、もし、自分にとって
    100パー気に入った作品が存在するとしたら、
    見てみたくないかい?
    私は見てみたい。


    で、私は自分なわけだから、
    自分の100パーの好みを、
    私は体で知っていて、
    そんなより自分の好みに近い
    そんな作品、一番作る可能性があるとしたら、
    自分じゃないだろうか…

    私はこれからもきっとずっと、
    文章を書いたり絵を描いたりしていくだろう。
    その中で、今以上に自分好みの
    自分寄りの作品を
    作っていけるとしたら、
    …私は一体どこまでいけるんだろう?

    もちろん、今の私、
    まだまだヘタクソだけれど、
    でも、うまい=好きな作品
    ではないのだから、
    もっと追求していきたい。


    自分にとって魅力的か…
    ってだけじゃなくて、愛着とかも含めて
    自分にとっての好きって感覚のものを作ることや、
    あるいは作ることがなかなか大変で、
    すごく体力や時間、精神力を使った、
    満足する作品を完成させることは、
    他人を満足させることよりも
    難しかったりしないかい?


    自己満足ってむずかしいよ。
    もちろん、そんな満足を他の人にも
    もってもらうことは
    すごく嬉しいんだけれども。



    そんな自己満足を本当にしたい。

    みなさんはどう思います?

  • ちょっと伸びをして、おかしな経験を語る

    2011/06/26

    maro日記

    ちょっと伸びてみようと思います。
    ふううううう(-。−;)


    すごく悩んでいるのは事実ですが、
    波もあったり、突き詰めて考えることが、
    自分を知るというか、
    もっと深い人間になれる気がすると言うか…

    要は嫌いじゃないんです。考えること。
    知ること、わかること。(^∇^)



    何年か前に、自分でも
    ビックリする出来事があったんです!
    今回はそのお話…



    何ヶ月間か、無感動人間になってた
    時期があるんです。

    私は映画でめっちゃ泣く…
    …ようなタイプではないんだけれど、
    妄想族であり、やれ寂しい、悲しい、嬉しい…と
    そういうことでは、結構しょっちゅう泣いたり、怒ったり
    喜んだり、そんなタイプの人だと思うんです。

    そんな私が突如変わったんです。


    もともと自己嫌悪の人だったんだけれど、
    たぶん精神的に限界まできていたから、
    おそらく…心が痛すぎて、
    物理的に痛いから、体が防衛したのかな?
    物事を集中して考えられなくなって、
    無意識に人のせいにするようになって、
    気持ちが動かなくなった…
    嬉しくもないし悲しくもない、
    そんなことが突然起きたんです。


    たしかに痛くはないけれど、
    相手のことを全く
    考えられなくなっていたから、
    何だかイライラしていたように思います。

    それが、自然に私にとって
    嫌なことを全部忘れるって方向で
    解決したカタチなんだけれど、
    なんか、すごく浅はかなんです。
    自分のことしか考えられないことは
    すごく悲しいことでした。
    悲しくも嬉しくもない、無…



    ずっと流れ続ける水が、
    流れるのをやめて、
    一カ所にたまってしまって、
    増えもしないし減りもしないけれど、
    時間がたって濁っていく感じ。

    それこそ前に進んでいかない。

    水が減ったらまた足して、
    また減って…そうして入れ替え入れ替え
    冷たい新しいキレイな状態でいることの方が、
    ステキなことだと思うんです。


    何ヶ月もして、涙が戻ってきたとき、
    やっぱり悲しくて涙が出たのだけれど、
    すごく嬉しかったのを覚えています。


    痛い痛いって傷だらけの
    花瓶の水がどんどん漏れていって、
    たまに枯れてしまっても、
    また新しい水を足していって…

    そんな水が、
    きれいな花を咲かすんじゃないかと、
    うまくやっぱり説明はできないけれど、
    そんな想いがあるんです。

  • 私のかいじゅう君

    2011/06/26

    maro日記

    私の中に怪獣がいるのだ。
    ずっとお腹の底の方に押し込んである。
    その怪獣のことは人に言う事はできない。
    隠したいわけじゃなくて、
    言うと多分私の怪獣を
    閉じ込めてあるトビラのカギが
    開いちゃって、もうどうしようもないことになって、
    もう一度、怪獣をその部屋に押し込める事は
    できなくなると思うんだ。

    人は人だし、私は私…

    …おそらく周りを人並みに気にしながらも
    そう思って、人以上に前を見続けることに
    こだわり続けていた私は、
    周りからは、それこそポジティブに映っただろう。

    でも今、周りの流れに逆らえないくらいに
    本当はまいってしまっている。


    ただ、怪獣をしっかり閉じ込めて、
    何の心配も無く、
    怪獣の存在さえも忘れちゃって
    ホッとできるときには、
    多分今は何も恐れるものは無いと思う。


    このブログにこのことを書いてしまっているのは、
    怪獣を飼うことは私にとって
    結構ココロを消耗することだから。
    結構疲れてしまっているんだ。
    弱音もはきたかったんだ。



    そんな私の怪獣は、
    今日もトビラの奥でないている。

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