岡田千夏

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京都府京都市

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  • 雑草抜き其の二

     今年は蚊が少なくて良いなどと思っていたけれど、今頃になって、例年通り大量に出るようになった。
     洗濯物を干したりごみを出したり、庭へ出るたびに、足元に20匹くらいの蚊がまとわりついて、次々と刺しに来る。そのため、窓に網戸はしているけど、出入りするたびに、手足にたかっていた群のうちの一匹や二匹が抜け目なくいっしょに部屋に入り込む。ときには、ふくらはぎや膝頭に食いついたままついてくるのもいる。
     どこでそんなに湧いているのかと思うが、庭の水槽には金魚やめだかが入っているから、小さなボウフラの卵なんて食べてしまうだろう。きっとよその水で湧いたのが、うちへ来るのかもしれない。庭の一角に、草が茫々に生えているところがあって、湧いた蚊が、その草むらを隠れ家にしてわんわん飛んでいる。
     庭に蚊の集会場があるというのはよろしくない。前に雑草抜きをしてからもう長いこと経ったから、そろそろ抜くことにした。
     丸い葉っぱと太い茎の同じ種類の草ばかり、次々抜いていったら、びっくりしたオンブバッタがぴょんぴょんと飛び出してきた。せっかく快適に生い茂っていたところを申し訳ないが、仕方がない。
    半分ほど抜いたところで、草むらの真ん中あたりの葉の上に、大きな蛾が止まっていることに気がついた。太い胴体と少し外に開いた戦闘機のような形の羽で、おそらくスズメガの仲間だと思われるけど、まわりの草をどんどん抜いてもちっとも飛ばない。きっと蛹から羽化したばかりの若い蛾で、まだ飛べないのだろう。
     虫に表情などないだろうしあっても小さくて見えやしないだろうが、私が周囲の草を抜くと、なんとなく必死の形相で揺れる葉っぱにしがみついているように見える
     蛾の止まっている草を揺さぶらないようにとまでは気遣わないが、蛾の草を残して、ほかのは抜いて、せいせいした。
     翌日の朝に見ると、もう蛾はいなかった。
     蚊対策としての効果はというと、あまり関係なかったようである。

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  • 送り火のあと

     土曜日は、五山の送り火があった。
     昼間、街の通りで外国人観光客の姿を見かけるたび、今日の送り火を見に来ているのだろうと思った。私は井の中の蛙だが、京都盆地を取り囲む山々に煌煌たる炎の文字を描く送り火のスケールの大きさは、世界的にも有数ではないかと思う。
     山に字が書いてあるね、と息子が言った。送り火があることは知らないはずだけれど、夜の点火に向け、積み上げられた薪や護摩木にかけられた白いカバーが、山の字の形に沿って点々と見えるから、そう言ったのだろう。
     天気予報では、京都の夜は雨で、昼過ぎから雨が降ったり止んだりを繰り返したからどうなるだろうと思ったが、点火の時刻には雨は上った。
     どこかへ見に行こうかと思っていたのだけれど、火がつく前に子供が眠ってしまったから、行かずじまいになった。送り火を見なかったのは、物心がついて以来、京都を離れていた数年前の一年に続き、これが二度目である。
     去年は、NHKがハイビジョン放送で中継をしていたけれど、今年はオリンピック一色で、地元放送局による唯一の中継を見ていたら、少し出かければすぐ実物が見られるのに家の中にいて見ないのは、なんとも惜しいような気がしてきた。
     翌日の太陽は、相変わらず焼きつけるような日差しを送ってきていたけれど、今までとは少し違うような風が吹いて、とくに日暮れ頃には、涼しい空気が流れこんだ。山に灯された火が消えるのと同時に、やはり夏の本体もまた過ぎ去って行ったようである。
     エアコンを入れなくても平気だし、子供の追いかけっこに付き合ってやってもさほど汗もかかない。川辺には、平地へ下りてきた赤とんぼが飛び交っているし、季節は、秋へと廻っている。

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  • ブロッコリーについた虫

     ブロッコリーの入っている透明な袋の内側に、茶色っぽい深緑の点々がついているのが透けて見えたので、慎重に中身を袋から出して、房の裏側から覗いて見たら、茶色に焦げ茶の絣のような模様の入った芋虫が、房の中に頭を突っ込んで眠っていた。
     その芋虫のついた房だけ切り取って、庭に捨てようと思っていったん外まで出たけれど、雑草のいっぱい生えた庭の一角を見て、何となく躊躇した。今あるひと房がなくなったら、食べ物に困るに違いない。蟻にも襲われるかもしれない。毎日野菜を取り替えたり、蛹になるときの土を用意してやったりするのは面倒臭くて気が重いが、芋虫が葉っぱをかじったり脱皮をしたりするのを子供に見せたらきっと喜ぶだろうと思い、やっぱり飼うことに決めて、台所に戻って空いたトマトのケースにブロッコリーごと入れた。
     残りのブロッコリーは茹でようと思って、房を包丁で切り取っていると、刃が通った後から突然、今度は薄緑色の芋虫の上半身がぶらりと出てきて、まさかもう一匹いるとは思っていなかったからぎょっとした。
     一匹も二匹も同じなので、薄緑のほうも茶色と一緒にトマトのケースに入れたが、どちらも、じっとしたまま動かない。しばらく冷蔵庫に入っていたから、仮死状態で眠っているのだろうと思って、目覚めるのを待った。
     しかしいくら待っても、芋虫たちは目覚めなかった。野菜室くらいの温度なら耐えられたかもしれないが、チルド室に何日か入れておいたから、もう死んでしまっているようだった。
     残念なようなほっとしたような気がした。

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  • 公園の猫缶

     風が吹いて、あまり暑さが厳しくなかった日に、子供を公園へ連れて行った。
     あまり暑くないといってもやっぱり暑いから、公園は、人も少なくて、ただ明るく白けた地面に木のつくる陰がくっきりと黒く落ちていて、がらんとした感じである。
     子供が砂場で遊んでいるのを木陰から見遣って、もうずいぶん長いあいだ、公園で猫を見ないと思った。毛艶のない黒猫が、小さな日溜りで丸くなって眠っていたのは二年前の秋、そのあと、面構えのしっかりとした、したたかな感じの白黒猫に会ったのは今年の節分の頃であったか。
     それ以来猫を見ないので、いまは公園に猫はいないのだろうと思った。猫がいないのは淋しいようだが、いると砂場をトイレにするから、困ることもある。それに、公園などで猫に出会うと、たくましく生きている猫ならいいが、そうでない場合は、ちゃんと食べるものはあるのだろうかとか、とくに冬場は暖かな寝場所があるのだろうかとか気がかりなことも多い。
     いい加減暑くなってきたから、帰ろうと思って出口のほうへ向いかけたら、公園に何本も植わっている背の高い木のうちの一本の根元に、空っぽの猫缶が落ちているのを見つけた。やっぱり猫がいて、誰かがご飯をあげているようである。

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  • トンボ池

     今年も京都御苑のトンボ池が一般開放されているというので、トンボを見に行った。
     蓮の群生する小さな人工池である。去年は蓮が例年より早く咲いた年であったので、一般公開の一週間は残念ながらもう蓮が終わってしまっていたのだけれど、今年は、トンボが飛び交う背高く伸びた青緑の葉の合間に、薄紅色に花開いた蓮の花びらや、まだ色濃く閉じた底の丸いつぼみが、同じように風に揺れていた。
     池に流れ込む水は、井戸から汲み上げた水であるそうで、流れに手を浸すと清らかな冷たさである。おそらく、下鴨神社の湧き水と同じ、京都の地下水系を水源としているのだろう。
     一般公開中は、専門家の人が池にいて、いろいろな動植物についての知識を教えてくれる。マユタテアカネのオスは赤いが、メスは赤くない、羽の付け根が黒いのはオオシオカラトンボ、目の縁が赤いのはモリアオガエル、などなど。
     子供の手を引いて、ほらトンボだカエルだと見ていたら、子供が足が痒いとしゃがみこむように両手でふくらはぎを掻くので、見ると半ズボンの足に蚊に食われた小さな赤い痕が五つ六つついていた。受付のテントの下からは、蚊取り線香の煙が細く流れていて、やっぱり蚊がいるらしいが、トンボやカエルに一所懸命になって、ちっとも気がつかなかったらしい。
     池を一周してから、テントの長机に置かれた昆虫図鑑を子供が眺めていると、受付の小母さんが、あんた二回目かいと聞くので、去年も来たというと、そうだろうね、覚えているわ、確かあのときは、ボクよりお母さんの方が一所懸命になってるって言ってたね。
     まったくその通りで、今年もやっぱり、息子よりも私の方がトンボやカエルにはしゃいでいるような感じで、もうちょっと見ようというのに、息子が足を痒がってもう帰りたいというので、仕方なく帰った。

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  • 回転寿司の寿司職人

     回転寿司へ行った。
     寿司の皿が流れていく輪の内側に、何人かの寿司職人が立ち並んで寿司を握っていて、若い人たちはそうでもないけれど、私の座る場所の一番近くで寿司を握っている年配の職人は、職人気質を絵で描いたみたいな、いかにも気難しそうな顔をしていた。子供用にわさび抜きの寿司を頼んだりするのがおっかないように思えたのだが、意外にも、相手のほうから、よかったらわさび抜き作りますからと気遣って言ってくれたので、ではとすぐに注文した。
     怖そうな見かけとは違って、それほど愛想の悪い人でもないのだろうと思っていたら、そのあと回っているのを取った寿司が、握った人がうっかり忘れたらしく、わさびがついていなかったので、わさびをもらおうと思って、わさびがついてないので、と言いかけたら、俺の仕事にケチをつける気かという剣幕で、それはお客さんがわさび抜きを頼んだのでしょうと、怖い顔をして畳み掛けるように言った。
     いや、そうではなくてと説明したら、いかにも不機嫌そうにわさびをとってくれたけれど、やっぱり見かけどおり、中身も絵に描いたような職人気質であるらしかった。

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  • ハリポタ中…

    一年くらい前に買ってほったらかしにしていたのを、
    最近読み始めたものである。
    いざ読み始めると、なかなか止め難い(正確には、最初20ページくらいのところと、300ページくらいのところでしばらく止まっていた)。
    したがって、ほかの用事が、ちょっと滞り気味である。

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  • 雑草から紙を作る

     中学生の頃は、科学雑誌の「ニュートン」にかぶれていて、その「ニュートン」が「地球クライシス」みたいなタイトルで温暖化とか、森林伐採とか、絶滅危惧種とか、そういう特集をしょっちゅうするものだから、半ば洗脳されて、かなり真面目に環境問題を考えていた。
     そこで、中学二年の夏だったと思うけれど、理科の自由研究のテーマを、そこいらに生えている雑草から紙が作れないかということに決めた。ただ抜かれて捨てられるだけの雑草を有効利用できれば、そのぶん伐採される森林が減ると、無邪気に考えたのである。
     工場で行われているような製紙法で作るのは無理だと思ったので、資料館へ行って、和紙の作り方を調べた。空き地にたくさん生えている、人の背以上もあるようなセイタカアワダチソウに目をつけ、引っこ抜いてきて、煮たり叩いたり水につけたりして紙を作ったのだと思うけれど、なにしろ生来の飽きっぽい性格で、意気込んでテーマを決めたまではよかったが、だんだん面倒くさくなって、なにやらいい加減な紙かどうかわからないものが出来た。
     先日ニュース番組で、よく似たことに取り組んでいる人のことがとりあげられていたから、20年前の私の自由研究は、なかなか社会性があるテーマだったと思うのだけれど、やっぱりレポートの出来がいい加減だったためか、理科の教師にはたいした評価ももらわなかったように記憶している。

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